Organic 100人の生き方

第2回 | 山納 銀之輔

住まいと暮らしの叡智を結集し、
オーガニックの匠が創り出す、真の豊かさ。

「最初に犬山農芸に来たとき、まず驚きました。みんな自分の身一つで、目の前のことを何とかしようとしていて。これは絶対面白いことになるなって」。山納銀之輔は、現在は講師としても関わる犬山農芸との出会いをこう語る。それは山納自身が創り出したいと考えている未来の景色とも重なったのかもしれない。「オーガニックというと食のことを考えがちだけど、僕には住まいのこと。オーガニックな家を創っています」。天日干しレンガや土壁、漆喰など、人々の暮らしにとって安全、安心な自然素材を用いて、一年を通した季節の変化にも対応でき、世代を越えて長く住まえる丈夫な家創りを手がける山納。彼は日本のみならず世界各地で住まいや暮らしに自ら飛び込んでその知恵を学びながら、家や店舗にとどまらず村づくり、エコビレッジのプロフェッショナルとして必要とされ、活躍する。「二世代、三世代と気持ちよく住み続けられて、名所でもなんでもないその辺の風景を切り取っても絵葉書になるような、美しい家や場所を日本にたくさん創りたい」。幾度も高い壁を乗り越えてきたオーガニックの匠は、これからの人々にとって本当に必要な豊かさが何かを見据えている

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家のお医者さんから有名空間デザイナーへ。飛躍的に駆け上がった20代を過ぎて感じた疑問。

「毎日いろんな人に出会い、いろんな人から感謝され、春夏秋冬を感じられる仕事がしたい」。栃木県で高校を卒業した山納は大学に進学するも面白さを見出せず3日にしてやめ、自分のできる仕事を考え始めた。様々なアルバイトを経験し、23歳で電気、水道、ガスの工事に必要な資格を取得し、家のお医者さんとして開業。それは、日々人に会い、感謝され、自分の町で四季を感じられる、町医者のような仕事をイメージしてのことだった。「家周りのことで困っている人のもとに駆けつける、何でも屋だった」。そんな山納の仕事ぶりはすぐに周囲に受け入れられ、住宅リフォーム、新築の家づくりと、着々と事業を拡大。さらに、27歳でヨーロッパに渡りホームステイしながら建築を学び、空間デザイナーとしても、方々で活躍していく。歴史ある温泉旅館街の女将を巻き込んだリニューアル企画や、ドラマのロケ地に選ばれるカフェ、有名テーマパーク、リゾート施設に至る店舗、空間、景観のデザイン、村全体のプロデュースまで、瞬く間に人気デザイナー兼経営者となった。そんな激動の20代を終えて30歳を迎えたある日、山納はふと思った。「俺は本当にこういう働き方がしたかったのか?」

全てを手放し、一人になった。身をかけたオールプロデュースでつかみかけた理想の景色。

「気付いたら、毎日数字ばかり追いかけていて。仕事を始めた頃を思い出し、自分がやりたかったのは、こんなことじゃないと。会社を全て解散しました。そしたら、周りにいた人もすーっと離れていった」。一人になって、何ができるか。「全てを自分一人でプロデュースしよう」。店舗を作るとき、店舗デザイナーから工務店、その他にも経理面や事務関連まで様々な専門業者が間に入り、それぞれのプロの目からいろんな意見が出、それを取り入れながら店を作ることになる。「店が完成する頃には、店をやりたかった本人は流れ作業の工場長のよう、これでは誰のための店なのかわからない…」。店舗づくりを山納が一人でプロデュースし、店を持ちたい人自身の想いを最大限形にした。そして、店舗に限らず、その土地の自然環境をそのまま生かせる村づくりにも挑戦。インディアンの家に住み込んで土の家の構造を学び、日本でも自然素材を使って長く住まえる家や、自給自足で愉しく暮らせる村づくりを模索した。金銭的な利益こそ大きくないが、身近な自然素材を集め、自分の手で家や暮らしを創り上げる過程こそ最高に面白く愉しい。そんな山納の仕事や考え方に魅力を感じた人が数多く彼のもとに集った。そして、栃木県内にこれまでの経験と知恵を集めた理想のリゾート村を創ろうと土地を確保。集まった仲間と共に着手しかけたところに起こったのが、東日本大震災。原発事故の影響も受け、プロジェクトの遂行は断念せざるを得なくなった。

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 仲間の存在に励まされ、住まいと暮らしの叡智を日本と世界に伝える旅へ。そしてたどり着いた犬山の地。

30歳で一人になり、壁を乗り越えながら仲間を増やし大切に温め育ててきたプロジェクトだった。大事な土地は失ったが、彼の考えや生き方に共感し信頼を寄せる仲間は山納のもとに残った。彼は日本各地を訪れ新たな土地を探しながら、その土地の自然環境に調和する村づくり、いわゆるエコビレッジを創るための様々な知恵や技術を伝えていくことにする。やがて山納はエコビレッジの専門家として、日本のみならず、世界各地からも必要とされる存在となった。そして、あるとき震災を受けて愛知県内に避難していた友人が、ハローワークで紹介されたと山納に話したのが犬山農芸を知るきっかけだった。タイから帰国したばかりだった山納は友人と共に犬山の地を訪れ衝撃を受ける。「こないだまでいたタイのような風景がそこにありました。みんな自分の身一つで田んぼの世話したり、いろんなことをしていて」。犬山にあふれる里山の自然の中で、それを生かした職や暮らしを見出そうとする農芸の人々に心くすぐられ、山納は講師として関わるようになる。「ここでなら、本当の豊かさをより多くの人に伝え、実現できるかもしれない」とワクワクしながら。

「今犬山農芸には、悩みながら学ぶ人が多くいます。悩むってことは、何かをやりたいという証拠。目の前の自然の中に飛び込んでみれば、世界はもっとシンプルで面白くて、そこに豊かで幸せな暮らしがある。それを感じて、やりたいことを実現してほしい」。本当の豊かさはお金では手に入らないと山納は言う。「たとえば、安心して暮らせる良い家を自分たちで創れて、子や孫の世代まで長く住まえたら、ローンはいらない。そしたら手取りの金額が少なくても先々の心配も少なく、豊かな暮らしができる」。安心して使える自然素材で、その過程を存分に愉しみながら自分たちで家を創り上げていくというオンリーワンの豊かさと幸せ。オーガニックの匠が見据えるのは、そんな家々が寄り添い、人々がやわらかな笑顔で暮らす、美しい日本の風景である。

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