Organic 100人の生き方

第8回 | 伊藤 美穂

生命を慈しみ、自分の手で暮らす術を身に付けることが、
心安らかに生き生きと描くための確かな下地となる。

犬山農芸のFacebookページ、農芸の活動紹介や犬山オーガニックマルシェのフライヤーに描かれている、ふんわりとまるくやさしいタッチで、緑のグラデーションを印象的にこまやかに美しく彩られた挿し絵。一度目にすると、思わず手にとってじっくりと味わいたくなる豊かな世界を描き出すのは、伊藤 美穂。彼女は夫と共に農も営み、“しろくま畑 ”として、犬山オーガニックマルシェをはじめ近隣のマルシェや小売店などに二人で育てた個性豊かな旬の有機野菜たちを並べる。野菜の彩りが見えるビニール袋のワンポイントに伊藤が描いたしろくまのシールも愛らしい野菜たちの傍には、彼女の作品のポストカードも静かにその存在感を放つ。小さな頃からひたすらに描いてきた伊藤が、“半農半芸”という今の生き方に至ったのは、東日本大震災を経て自らの暮らしや自身の絵に向き合い、それまでとそれからを見つめ直したことが始まりだった。「突然、身一つで生きていかなければならなくなったとき、私は自分の力で生きていくことができるだろうか。命に関わる緊急時に、絵は一番に必要なものではない…」。

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母曰く「紙とペンを持って生まれてきた」のは、
生き物が大好きな、心やさしい女の子。

伊藤の描く絵やその世界は、自然で迷いがなく、どこまでも広がっているような、穏やかさや安心感がある。それは、彼女が小さな頃からごく自然にペンをにぎり、描き続けてきたことにもあるのかも知れない。「母親が『あなたはチラシの裏紙とペンさえあれば、ずっとおりこうさんに絵を描いているこどもだった。紙とペンを持って生まれてきたのよ』と、私のこどもの頃の話をする時、いつも言うんです」。生まれながらに絵と運命づけられていたような伊藤はまた、小さな頃から生き物が大好きな女の子。かわいらしい小動物に限らず、は虫類や恐竜も好み、植物、特に大きな木は心のよりどころのように親しみを感じた。「小学校に大きな木があって、休み時間にはその木のもとへ行って、木へ書いた手紙を読んだりしていました。植物も動物も自分にとってはそれぞれに生き物として大切に感じていて。だから何か理由があっても木を切り倒すところは見ていられなかった。自分のことのように痛くて」。繊細でやさしい心をもち、自分の周りのさまざまな生き物の命を慈しみ触れ合う中で、伊藤はゆっくりと自然にその世界を自らの絵に描き出せるようになっていったのだろう。

絵を描くことを通して、誰かを応援したり、活動を支えたい。
環境保護活動に関わる中、東日本大震災が起こる。

「こどもの頃には、将来は動物園の飼育員や盲導犬のトレーナーなんかもいいなと思っていました」。伊藤が絵を描いて生きていくことをはっきりと決意したのは、芸術大学に入ってから。それまでは大好きな生き物に関わる仕事にも興味を持っていた。「デザイン科にいたので、企業のデザイン部門やデザイン事務所などに就職する人もいて。私自身は修了前から自分の絵で個展やグループ展をしていたこともあり、絵を描いて生活していけたらな、と」。そして伊藤は、自身も関心の高かった環境保護活動に参加する中で、絵を描くことを通して、活動する人や活動そのものに関わりたいと考えるようになる。アースデイナゴヤをはじめ環境イベントのチラシやポスターの絵も手がけ、犬山農芸を立ち上げた佐藤練ともその当時に出会って今に至る。「それまでは、どちらかというと、自分たちが、生きる土台となる母なる地球を守らなきゃと、誰かや何かに向かって声を上げる側にいたと思います。だけど、震災が起きてから、その部分はまずは自分自身の暮らしや生き方を見つめることへと大きく変わりました」。東日本大震災が起こり、被災地の景色がそれまでと一変、あらゆるものごとが自然の大きな力により失われてしまった状況を報道などで目の当たりにし、伊藤は言いようのないショックを受けていた。「こんなことになったら、私は本当に生きていけるの?この状況じゃ、絵ではどうすることもできない…」

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自力で生活する術を一つずつ身につけていく。
その先に見つけた、お金で買えない安穏と、自らの絵の可能性。

当時、伊藤は絵を描く仕事をして生活できるようになっていた。しかし、震災以降、自分自身の生活に対する不安や、絵を描くことへの悶々とした感情が大きくなるばかり。「生きていくために必要な術や知恵を身につけたいと思って、まずは自分が食べるものがどうやってできているのかというところからスタートしました」。自分の状況を変えるきっかけを求めて、興味のわくイベントを見つけては足を運ぶ中で、同じように参加が重なり出会った夫と共に、畑の勉強を始めた。ちょうどその頃、佐藤練が犬山農芸を立ち上げ、伊藤も夫と共にさまざまな形で関わりながら、現在も農はもちろん、住まいの創り方など、自分の手で暮らすことへの新たな学びを深めている。「生きていくために必要なものがわかり、自分でできることが増えるたびに、不安が薄らいでいくのが感じられて。そうしたら、絵に対しても前向きに取り組めるようになったんです」。絵は確かに、緊急時に真っ先に必要なものではないのかもしれない。しかし、目の前に広がる現実の世界が暗くつらいときでも、絵にはこれから自分が見たい世界を描き世の中へ広げていくことができる。そんな絵の可能性を信じるとき、絵はこの世界にやはり必要な、最初の創造なのではないかと伊藤は今感じている。

「植物を育てようと考えたとき、ただ育てるのではなくて、地球の大事な自然資源を搾取するばかりではない、この先へとつなげていけるような循環型のやり方がいいと思って、農薬なども使わない有機農を選択しました」。あらゆる生き物の命をいつも大切に思ってきた伊藤は、「ごめんなさい」と「ありがとう」を常に心に抱きながら、傲慢にならぬよう、日々自分たちの暮らしを見つめ続けている。そんな中で、彼女の絵はまた新たな展開にさしかかっているようだ。「今までは何かや誰かのために描くことが多かったけれど、これからは自分の内から湧き上がってくるものを絵で追いかけてみたいとも思っています」。自らで生きていける術や知恵を身につけたいと始めた農や暮らしの営みが、伊藤が描き出す絵やその世界をより豊かなものにし、それらが人々にシェアされることで現実の世界も少しずつよりよいものになっていく。それが、彼女が見つけた“半農半芸”という、新しい安心のライフスタイルが持つ可能性である。

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