芸(art)と職(work)のジレンマから見出した、
農芸という生き方、新しい安心のカタチ。
「僕にとってオーガニックって、周りの人とのつながりを意味するんです。オーガニックビレッジという場所もたくさんの人との有機的なつながりをイメージしました」。農業においてオーガニックというと、無農薬や化学肥料を使わない安心な有機農法としてよく使われる。愛知県犬山市で犬山農芸を立ち上げ運営する佐藤練にとってのオーガニックは、ただそれだけではないようだ。犬山農芸は、犬山市にある豊かな里山の自然環境や木曽川の水資源を生かしながら、農業技術や里山文化を継承する職業訓練校を営む。同市善師野の清水寺に事務局を構え、市民プールの跡地を活用して犬山オーガニックビレッジという活動の場を創り、東海各地からさまざまな人が集まる。農業体験やシェアファーム、ワークショップやマルシェなど、その活動内容も彩り豊か。かつては若手芸術家としてヨーロッパで絵を描き、その後も独創的な職や暮らしを経ながら、佐藤練はどうして犬山農芸にたどりついたのか。
人に囲まれながら、街中で暮らしたにぎやかなこども時代。
名古屋市中区で小中学校に通い過ごした佐藤練のこどもの頃の記憶は、「家族や親せきなど、いつも人に囲まれて過ごしていたような気がします」。オーガニックを人とのつながりの中に見出すルーツを感じさせるこども時代。一方で、「自然はお金を出して見に行くものだと思っていた」と、現在の犬山での暮らしとは対照的なライフスタイルだった。美術と数学が好きで、高校は理数系の東邦高校へ進学するものの、化学の難しさに打ちのめされ、1年のうちに辞めてしまう。これからどうしようか考えていたとき、偶然目に飛び込んできたのが、バチカン市国のシスティーナ礼拝堂の修復作業のテレビ映像。修復や芸術の勉強ができたらと、イギリスの学校への留学を決め、渡欧した。
駆け出しながらも受け入れられた自分の芸(art)、そして感じた職(work)とのジレンマ。
イギリスで学び始めた佐藤に、またも化学の試練が待っていた。修復の技術には化学の勉強が不可欠。異国でさらに複雑さを増した化学に修復士の道を阻まれ、佐藤は好きな絵を描きながら、ヨーロッパの芸術を学ぶことにする。「学ぼうとするほど、ヨーロッパの人たちが僕に求めてきたのは、日本独特の精神性や芸術性。当時の自分には応えられるものがないと感じることも多く、戸惑いました」。自分の芸(art)に悩みながらも、若手の芸術家に受容的なヨーロッパの地で、佐藤の描く絵は次々と売れていった。「絵を描いて売る生活を続ける中で、絵を買ってくれる人がどんなものを欲しているのかがわかるようになってきたんです。求められるものを描くうちに、これは創作ではなく、マニュファクチャリングなんじゃないかって思い始めて。そうしたら、だんだん楽しく描けなくなってきた」。芸(art)と職(work)のジレンマに苛まれながらも、世界各地へ旅をしたり、東ヨーロッパを中心に展覧会を開催。活躍の最中、ビザの問題が発生し、急きょ帰国することになる。
帰国後もジレンマに葛藤しながら、次々と転機を呼び起こし、犬山の地へ。
日本に戻り、佐藤は映像制作会社で働き始めた。しかし、仕事の内容そのものはクリエイティブで好きなのに、仕事量が膨大で、とにかく日々こなすだけ。自分にしかできなかったはずの仕事も、大量にこなすうちに分かりやすくマニュアル化して分業化され、誰にでもできるようになっていく…。帰国後も芸(art)と職(work)のジレンマに葛藤しながら、自らライブハウスを運営したり、シェアハウスを作ったりと、さまざまな模索を続けていた。そしてある時期、友人の暮らす池下にあるマンションの屋上にテント生活をしていた佐藤。「空が広くて、気持ちの良い暮らしでした。そこから見える景色の中にあった愛知県厚生年金会館の閉鎖が決まり、そこにあった緞帳も廃棄されることになって。緞帳は手作業の綴織でできた非常に高価なもの。作られた当時でも五千万もの価値があったそうです」。多くの人手と時間をかけて大切に作られた貴重な作品がこのままだと無下に廃棄されてしまう…。それを知った佐藤は、自ら廃棄予定の緞帳を引き受け、仲間を募って、クリーニングに京都まで奔走しながら、新たな引き受け先を探した。そして見つかった引き受け先が、犬山市の城下町に町おこしとして建設中だった城たいがサクラサク美術館。引き受けてくれた一番の理由は、美しい木曽川と犬山城が緞帳に描かれていたからだった。
「この縁から、家族で犬山の地に暮らすことになりました。犬山には木曽川水域や貴重な里山資源をはじめとする自然環境が豊かに残っています。ここに暮らしていると、すごく安心できるんです。ずっと続いてきた自然や人たちのつながりが確かに感じられる」。佐藤が仲間と作った犬山農芸には、そんな豊かな自然やその暮らしに魅せられた人が各地から足を運ぶ。「自然って大き過ぎて自分だけでは到底太刀打ちできないけれど、そこにあるものをどう活用するか仲間と考えるのは本当にクリエイティブでワクワクする。農芸ってつまりはそういうこと。ここにいると、本当に何かを必要としているときには、その思いに応えてくれるかのように、ものごとや人が訪れるんです」。犬山農芸の運営や、自らの暮らしを通した、自然や人との有機的なつながり。それが佐藤練にとってのオーガニックであり、この先、物やお金に代わる、新しい安心のカタチなのかもしれない。